日 一 一 一 独一
週刊作治
の
吉村作治
3●えが■all1 4 、 第 四十 五号 年 明 け 早 々 忙 し い 日 々 の 始 ま り ︱︱ I H
二 〇 〇 三 年 年 始 の ご挨 拶 ︱︱ 1 9
第四十六号 成 人 式 な ん て ナ ンセ ン ス ーーー わ ︲ 第四十七号 エジプ ト学 研 究 所 が昇 格 しま し た ︱︱ 1 2 第四十八号 還 暦 を む か え ま し た ︱︱ 1 8 2 7 第四十九号 な ん で こ ん な に忙 し いの ︱ ︱︱1 3 3 号外 大 祭 と イ ラク攻 撃 ︱︱ 1 4 第五十号 試 験 監 督 は つら いです ︱︱l θ
第五十 百写 老 人 パ ワー全 開 ︱︱ l γ 0 第五十二号 国 際 シ ンポジ ウ ム ﹁イ スラムと I T﹂ @ ウズ ベキ スタ ン ーーー 6 第五十三号 イ ラク戦 争 の報 道 に憤 り を感 じま す ︱︱ ︱ 万 第五十四号 打 ち合 わ せ と収 録 と講 演 会 の 一週 間 で し た ︱︱︱ あ 第五十五号 新 年 度 の授 業 開 始 です ︱︱ 1 7 8 ハ号 新 刊 の原 稿 書 き が佳 境 です ︱︱ 1 4 第五十二 9 9 第五十七号 エジプ ト出 張 と S A R S の影 響 ︱︱1 9 発 掘 事 業 ﹂ への鋭 い つ っこ み ︱︱ ︱ 晰 第五十八号 ﹁ 9 o 第五十九号 エ ハ十 歳 にな った の で バ スと 電 車 で通 って いま す ︱︱ ︱ ︲ 1 第六十号 伊 万 里 絵 付 け修 行 と 岐 阜 県 の古 代 遺 跡 ︱︱ 1 4 1 2 第二 ︿十 一号 充 実 の大 阪 往 復 ︱︱ 1 2 1 第六十 二号 子 ど も は 元 気 が 一番
2 写 松 島 や ︱︱ 1 1 3 第ユ ︿ 士 ニロ 9 3 第六十四号 パリ で の ヘビ ーな 仕 事 、 ユネ ス コの食 堂 は美 味 し い ︱︱︱ ︲
126
くし
Tも 週刊作 治
第六十五号 石 油 は原 材 料 資 源 な の です ︱︱ ︱ 昨 第六十二 ハ号 大 学 発 ベンチ ヤー の会 ︱︱ ︱ 曖
第六十七号 北 朝 鮮 工 作 船 特 別 展 示 を 観 ま し た ︱︱ ︱ 曖 5 第ニ ハ十八号 九 州 巡 業 と宗 像 大 社 の シ ンポジ ウ ム ーー ー6 ︲ 2 第六十九号 ﹁ 新 王 国 ビ ー ル﹂ 発 表 ︱︱ ︱ ︲ 7 、 第七十 満 号 月 の 夜 京 都 平 安 宮 で喜 多 郎 さ ん の音 楽 を聴 き ま し た ︱ ︱ 神 第七十 一号 日本 滞 在 四 日間 ︱︱ ︱ 6 8 ︲ 9 第七十二号 ヽ ミイ ラ に会 いに イギ リ ス ヘ ーーー ︲ 8 8 第七十一 一 一 号 伊 万 里 で陶 器 作 り に打 ち 込 みま し た ︱︱ ︱ ︲ 9 第七十四号 エジ プ ト ・フ オー ラ ム n ll1 2 0 第七十五号 世 界旅 行 博 覧 会 、 ツアー オブザ イ ヤ 第七十二 ハ号 一 二泊 五 日 の エジ プ ト出 張 ︱︱ 1 2 ︲ 第七十七号 見 ず 知 らず の人 た ち ︱︱ 1 2 ︲ ︲ 第七十八号 頭 痛 上肩 こり、 移 動 中 の原 稿 書 き は疲 れ ま す ︱︱ 1 2 2 第七十九号 第一 三 回 国藤いシンポジ ウ ム ﹁イ スラムと I T﹂︱︱1 2 2 ︲ 第八十号 看 護 師 の神 さま と の対 談 ︱︱ 1 2 3 第八十 一号 ど う す り や ぃ ぃの さ 日本 ︱︱︱ ち 第八十二号 一 二時 間 が あ っと いう 間 の ﹁ ち ち ん ぷ いぶ い︸ ︱ ︱ 絲 第八十三号 ヽ ミイ ラ に会 いに新絶“ウイグ ル白払浮いへ ︱︱1 4 2
第八十四号 雪 と ミ ラ ーーー 窃 イ 第八十五号 最終 回 です ︱︱1 6 2 二〇 〇三年 の出来事 ︱︱︱ 雄 0 あとがき ︱︱1 2 7
ま えがき
ま たま た ﹃ニ ンプト考古 学者 の独 言﹄ を出 しま した。 これは前 作 の ﹃エジプト考古 学者 の独 言
︱ 週 刊作 治 ︱ ﹄ が好 評 だ った から続 編 を出 したと いう こと ではあ りま せ ん。 実 は これら の文章
はす でに私 のホー ムページ で連載 し て いたも のを編集 したも のです。 です から真 新 し いと いう こ では今後 の資 料 になると 思 い著作 にしました。 と ではありませんが、時代を振り返 ってみると い 百︹ , 皆 さ ん の中 には考古 学者と いう存 在を 誤解 な さ って いる方も少 なく な いと思う ん です。 まず 発掘
しか頭 にな いと か、 世 の中 に興味 のあ るも のは限 ら れ て いて物 の考 え方 も 狭 く行動 も変 だ と か、
世捨 て人 のよう に世 の中と かけ離 れ て いると いう 風 にと られ て いる気 がします。確 か にそう いう
人も いる でし ょう 。 しかし石器を捏造 し世 の中 に アピ ー ルし て有名 人となり、多 く の人 に迷惑 を かけ る俗物 も いるわけ で、決 し て世捨 て人だけ ではな いのです。
幸 か不 幸か 日本 は遺 跡 のたまり場 のよう に国土ど こにでも遺 跡 があ るた め、考 古学 の対象 は限
りなくあります。考古 好 き の人も少 なくありま せ ん。 週末 の遺跡説 明会 にも たく さ ん の見学者 が
集 ま ると 聞 いて います。考古 学者 にと ってはギ ャラリーが多 いほど やり が いがあ るわけ です。 マ
ラソンランナーがく たび れ て角 をま が ったら少 し歩 こう かと考え て いると、角 を曲 が ったと ころ
にも 旗を ふ って いる観衆 が いて、歩 けず完 走 したと いう のを聞 いた こと があります。発掘 現場 に
たく さ ん の観衆 が来 る のは 一見う っとう し いのです が、反面と いう か、内 心 はと てもう れし いの
です。人 間 は所詮、 一生をどう ヒ マつぶす か です から、ど つち にまわ っても いいわけ です。
し かし ここで知 って いただけ ればあり がた いのは、 おおむね の考古 学者 は私 のよう な普 通 の人 で、世 の中 の出来事 に関心を持 ち、 ひど いめ にあ って怒り 、悲 しく て泣き、う れしく て笑う も の
だと いう こと です。 では考古学者 た る者 世間とど こが違う のかと いいます と、 ひと つの出来事 を
分析 し、本質 を探り 、対応 に関す る提案 が でき ると いう こと です。 そう でな いと骨董 屋 さ ん の手
先とな ってしまう のです。骨董屋 さ んにお金 を出 し てもら つて いるならそれ でも いいでし ょう が、
ご商売 では こんな リ スクを背負 わな いでし ょう 。 私たち は出 るか出 な いか でなく、あ るかな いか
でなく 、何故出 る のか、何故出 な いのかを考 え る のが仕事 な ん です。
です から皆 さ んが本書 を読 ん でくだ さ って、私 がど んな根拠 で普段、物を考え 、言 って いる の かを知 って いただ ければう れし いのです。
二〇〇九年 五月
吉村 作 治
え じ ぷと びあ﹂ に て連載 された ﹃ 週刊作治﹄ 第 四十 五号∼ 本書 は、吉村作治 ホー ムページ ﹁ 第 八十 五号 ︵ 二〇〇三年 一月 ∼十 二月︶ に加筆 し、あらた に写真を加え てまと めたも のです。
続・エジプト 考古学者の独言 週 刊作治
吉村作治
年 始 の ご挨拶
T2003年 週 干J作 治
二〇〇三年 年始 のご挨拶
かも そ の前 の年 に は そ れ な り の準 備 段 階 と し て のよ いこと が あ り ま し た。 例 え ば 一九 六 六
学 の講 師 にな れ ま し た 。 そ し て 一九 九 一年 に は アプ 。シ ー ル南 遺 跡 が 見 つかり ま し た。 し
一九 七 九 年 に は 日本 に帰 国 し て早 稲 田大 一九 六 七年 に は カイ ロ大 学 に留 学 でき ま し た し 、
す 。 よ く 未 年 に は 戦 争 が 起 き る と 言 いま す が 、 私 と し て は よ いこ と が多 々あ り ま し た。
昨 年 は私 と し ては と ても よ い年 だ った と 思 って いま す が 、 今 年 は私 の干 支 であ る来 年 で
本 年 も 続 け ま す の でよ ろし く お 願 いし ま す 。
週 刊 作 治﹄ を 見 て いただ き あ り がと う ご ざ いま し た 。 昨年 中 は こ の ﹃
皆 さま 、 明 け ま し てお め でとう ご ざ いま す 。
週刊作治
年 に は初 め て エジプ ト に行 く こと が でき 、 小 学 生 の時 か ら の夢 が叶 いま し た 。 一九 七 八年
に は ギ ザ 台 地 に ミ ニピ ラミ ッド を 実 験 考 古 学 的 手 法 で建 て る こと が でき ま し た。 さ ら に
一九 九 〇年 には第 二 の太 陽 の船 の存 在 を 確 か め 、 ハイ テク考 古 学 を 世 に知 ら し め る こと が でき ま し た 。
と いう わ け で、 今 年 も き っと い いこと が あ ると 信 じ て いま す 。 年 末 か ら年 始 にか け て エ
ジプト ヘ行 き 、 そ の準 備 を し てき ま し た 。 ま ず 、 一月 早 々 に ユネ ス コと の共 同 事 業 であ る
王 家 の谷 アメン 全 アプ 三 世 王 墓 の修 復 事 業 を 始 め ま す 。 こ のた め 、 一月 六 日 に は 二人 の先 発 隊 員 が エジプ ト に行 き ま す 。 そ れ では今 年 の動 き に乞 う ご期 待 ︱
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45号
T第 週刊作治
第 45号
年 明け早々、忙 しい日々の始 まり
今 日は年賀状 を少 しず つ読 み始 めま した。出 した方と出 し てな い方 の仕分 けを早稲 田大
一月 七 日 火曜 日
飛行機 の預け荷物 の超過︶ が多 か った よう で大変だ ったと のこと です。 クセス ︵
の始ま り、と いう こと になり そう です。今 日は ユネ スコプ ロジ エクト先 発隊 の出発 で、 エ
新年 と いう ことも あり、世 の中 が変 わ った よう な気 も します が、私 にと っては忙 し い日 々
午後 、 研究 所 の打 ち合 わ せ があ った他 は、休 み中 にたま った書 類整 理を し て いま し た。
新年 が始 ま ってもう 一週間 が過ぎ てしま いま した。 早 いも のです。
一月六 日 月曜 日
週 刊作治
学 エジプ ト 学 研 究 所 の広 報 部 にお 願 いし てあ り ま し て、 出 し て いな い方 のう ち 返 事 を し な
け れ ば な ら な い方 に随 時 出 し始 め ま し た。 あ っと いう 間 の 一日 でし た。 一月 八 日 水 曜 日
今 度 、 D V D で私 の レクチ ャー全 集 を 出 す こと にな り 、 そ の収 録 を 始 め ま し た。 夜 は テ
レビ 朝 日 の特番 ﹁スイ スペー緊 急 検 証 二〇 〇 三 迫 る巨 大 地 震 ﹂ の収 録 が あ り ま し た 。 こ
の番 組 を 観 ま す と か な り 緊 張 し ま す 。 必 見 です ︱ 一月 十 五 日 ︵ 水 ︶ 十 九 時 か ら 二十 時 五十 四分 放 送 です 。
一月 九 日 本 曜 日
午 前 中 、 午 後 と 、 D V D の収 録 。 夕 方 か ら N H K のイ ンタ ーネ ット デ ィ ベー ト ﹁ 成 人式
は ど う あ る べき か ﹂ の収 録 でし た。 こ のこと に つき ま し ては ﹁コラム 3 9 2﹂ で別 に書 き
ま す 。 そ の後 、友 人 と 新 年 会 でし た 。 早 稲 田 の ﹁ 志 のぶ﹂ と いう お でん屋 さ ん で やり ま し た 。 最 高 の味 です 。
※ 単行本 ﹃ 色即是空︱ コラム392﹄ ︵ 汐文社刊︶に収録されています。 一一九ベージ ﹁ 成人式 ︵ 2と 参照。
週刊作治T第 45号
一月 十 日 金 曜 日
朝 一番 で授 業 、 人 間 科 学 部 の演 習 がありました 。 今 日 は 二人 が発 表 でしたがと ても よか っ
数 と 古 代 文 明 ﹂ でし た。 錬 金 術 と 古 代 文 明 ﹂、 も う 一人 は ﹁ た です 。 一人 は ﹁
午 後 は ユネ ス コの修 復 事 業 の メ ンバ ー会 議 でし た が 、 人 数 が多 く 一回 では全 員 集 ま れ な
いので 二 回 に分 け たう ち の 一回 目 でし た。 そ の後 、 理 工学 部 の音 響 学 の山 崎 芳 男 先 生 と 打
ち 合 わ せ を し た後 、 エジプ ト学 研 究 所 の幹 事 会 でし た。 いよ いよ 二〇 〇 三年 も 始 ま ると い う わ け です 。 一月 十 一日 土 曜 日
午 前 中 は床 屋 さ ん に行 き 、 そ の後 書 類 整 理 、手 紙 な ど を 書 き ま し た 。
午 後 は スカイ パ ー フ ェク T V I の ﹁大 人 時 間 ﹂ と いう 番 組 の収 録 を し ま し た。 泉 谷 し げ
るさんと K O N T A さん の司 会 でそ のゲ スト 出 演 です 。 両 者 ともすばらし いエンタ ー テイナ ー
で す が 、 何 と 考 古 学 、 恐 竜 大 好 き と いう こ と で話 が 盛 り 上 が り ま し た。 放 送 日 は 二 月
二十 三 日 ∼ 二月 一日 ︵スカパ ー 1 1 1 0 ︶ と いう こと です 。 こ の機 会 に スカ パ ー に入 っ て、 ぜ ひ観 てく だ さ い。 と ても 面 白 か った です 。 そ の後 、 知 り 合 いと 打 ち 合 わ せを しま し た。
一月 十 二日 日曜 日
午 前 中 に原 稿 書 き 、 午 後 は浅 香 光 代 さ ん の特 別 公 演 を 観 に、 浅 草 の雷 5 6 5 6会 館 に行
き ま し た。 芝 居 ﹁ 森 の石 松 ﹂ と シ ョー ﹁ 春 夏 秋 冬 ﹂ と いう 出 し物 で、 浅 香 さ ん か ら自 筆 で
お手 紙 を いた だ いた も のです か ら 観 に行 った の です が 、 と ても おも し ろ か った です 。 と も
かく 浅 香 さ ん は 一生 懸 命 な 生 き 方 を し て いて光 って いま す 。 でも ト ー クシ ョー の時 に サ ッ
チー ︵ 野村 沙 知 代 さ ん︶ に訴 え ら れ て いる こと を ギ ャグ に し て いま し た 。
帰 ってか ら 原稿 書 き の続 き と 、 グ ラ読 み合 わ せ、 手 紙 、 F A Xな ど で気 が つ いた ら か な
り 遅 く な ってし ま いま し た 。 明 日も 休 み です 。 気 が 抜 け るね え、 ハ ッピ ー マンデー つて え や つは。
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